驚きを禁じ得ない(世間をナメてる印象を受けた):魂の退社 会社を辞めるということ。 [ 稲垣えみ子 ]
驚きを禁じ得ない。
というのも、世間をナメまくっている印象を受けましたもので…。
一般市民との感覚のずれが著しい…。
一流大学を卒業以来、一流企業(朝日新聞社)でずっと働いていた50歳の未婚シングル女性が会社を辞めるという話なのですが…………
読めばわかります。
世間をナメているとしか言いようがない。
世の中の一流企業というところに、こういう人がたくさんいるのだとしたら、思いやられます。
我々の世代って、
就職氷河期、
ITバブル崩壊、
リーマンショック、
東日本大震災等々を味わってきたではないですか。
さらに我々は女ですから、結婚・妊娠・出産がらみで、常に職を失うという事態とは隣り合わせなのですよ。
この本の著者が仕事をやめるということをたいそうに書いていますが、やめることも、やめたあとも、世間をナメているようにしか感じられませんでした。
一般市民との感覚のずれが激しいんですよね。
以前、新聞記者が書いた貧困家庭のインタビュー記事書籍を読んだときに端々に違和感があったのですが、こんなところで具体化してげんなりです(´Д`;)
この方の別の本(ミニマリスト系のもの)を次に読むのですが、心証が悪くなってしまいました…。
唯一役に立ったのは、うどん県民は「〇〇円あればうどんが〇杯食べられる」という生き方をしている、という話です。
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「まっとうに会社で働く人が日本を支えている。それは本当にそうだと思う。
しかし、会社で働いていない人だって日本を支えている。
自営業の人たち、フリーランスで働く人たちは言うまでもない。
さらに、お金を稼いでいない人たち、たとえば専業主婦、仕事をやめた高齢者、何かの事情で働けない人、子どもだって、みんな日本を支えているんじゃないだろうか?
食事をつくる、掃除をする、孫と遊ぶ、何かを買う、近所の人にあいさつをする、だれかと友達になる、だれかに笑顔を見せるーー世の中とは要するに「支え合い」である。
必ずしもお金が仲介しなくたって、支え合うことさえできればそこそこに生きていくことができるはずだ。
しかし会社で働いていると、そんなことは忘れてしまう。毎月給料が振り込まれることに慣れてしまうと、知らず知らずのうちに、まずお金を稼がなければ何も始められないかのように思い込み始める。
そして、高給をもらっている人間がエラいかのようにも思い始める。
だから、会社で働いていると、どうしても「もっと給料よこせ」という感覚になる。これは、どんな高給をもらっていても同じである。(中略)
しかし私は、もうその争いに意味を感じなくなってしまった」(プロローグより)
そういう著者が選択したのは、会社を辞め、電気代200円で暮らす清貧生活だった。しかし、著者はかつてないほど希望に満ちていると書く。日々が何より新しい。それは「お金」や「会社」から自由になったことで得たものだ。会社とは、お金とは、人生とは何かを問う。笑って泣けて考えさせられて最後に元気が出る本!
アフロにしたことと会社を辞めたことは関係ありますか
プロローグ 会社を辞めるということ
その1 それは安易な発言から始まった
その2 「飛ばされる」という財産
その3 「真っ白な灰」になったら卒業
その4 日本ってば「会社社会」だった!
その5 ブラック社員が作るニッポン
その6 そして今
エピローグ 無職とモテについて考察する
【内容情報】(「BOOK」データベースより)
テレビ、ラジオで大反響!アフロでおなじみの元朝日新聞編集委員・初の書き下ろし!
【目次】(「BOOK」データベースより)
アフロにしたことと会社を辞めたことは関係ありますか/プロローグ 会社を辞めるということ/その1 それは安易な発言から始まった/その2 「飛ばされる」という財産/その3 「真っ白な灰」になったら卒業/その4 日本ってば「会社社会」だった!/その5 ブラック社員が作るニッポン/その6 そして今/エピローグ 無職とモテについて考察する
【著者情報】(「BOOK」データベースより)
稲垣えみ子(イナガキエミコ)
1965年、愛知県生まれ。一橋大学社会学部卒。朝日新聞社入社。大阪本社社会部、週刊朝日編集部などを経て論説委員、編集委員をつとめ、2016年1月退社(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)